「春を先取り」
なな.
お店のある通りは「さくらみち」という。 数年前に通り沿いの商店で新しく作った商店会の名は「さくらみちブラボーズ」若い店主(と言っても中心メンバーは40台)が多いので、長老が幅を利かせている古い商店会と比べるといろいろなチャレンジをアクティブに行っているのが好印象だ。我がオーガニック七菜も参加させてもらって、一緒にイベントなどを運営している。 けれど辻堂から茅ヶ崎駅前へとほぼまっすぐに続くその道には桜の木などほんの1~2本しかない。
桜がないのに「さくらみち」、ならばわれらの店に桜を咲かせよう!とブラボーズ、毎年まだ寒さが残る時期に、メンバーの花屋さんに頼んで桜の枝を配ってくれる。
ペレットストーブで暖かい我が店では、瞬く間に満開になり、一足早いお花見となった。「あら~。さくら?!」と見上げるお客様の笑顔も満開に。。。
「 珍客、遭遇 」
高 志
冬の間、お水採りの日程が近づくと、ライブカメラで水の里近辺の道路状況をチェックするのがルーティンとなっている。もちろん、合わせて天気予報で雪雲の動きなどもチェックするのだが、今回のお水採りも冷や冷やものであった。 最近、やたらと耳にする南岸低気圧のせいで、関東平野も積雪の恐れが声高に騒がれていたからだ。我が家の屋根は作りが薄いのか、ちょっとまとまった雨が降ると屋根を叩く音が耳に障る。 この耳障りな音が静かになったら雪に変わったとわかるのだが、今回もありがたいことに屋根の音が止むことはなかった。 この冬は、1/6の積雪が思いのほか悪影響を与えたからか、その後やたらと『積雪の恐れ』が気象庁から発表されるようになったのだが、その度に『大騒ぎになるほど、実際には雪にならないよね』と言ったことも囁かれたりしている。 お水採りの当日、家を出るのは朝6時くらいなのだが、朝の予想気温が氷点下であったため、積雪もそうだが、道路の凍結も心配のひとつであった。 家の周りは雨で濡れていたのだが、北上するにつれ雪を積んだ車が目につくようになって来た。周りを見渡しても積雪している景色など見られなかったのだが、さらに北上するとそんな車がどんどんと増えていき、遂に相模原から八王子に向かうちょっとした小山周辺では、しっかりと雪一色の景色に一変していた。そう、ここの辺りでは『積雪の恐れ』は恐れでは無く実際に積雪していた。 南岸低気圧は関東南部に影響があったようで、八王子から埼玉に入るとすっかり雪は消え、それはそのまま東北の玄関口である白河の関でも、ほとんど雪を見ることはなかった。 そうは言っても水の里は一面銀世界であり、道路にほとんど雪が無くても、駐車スペースや作業場などは雪かきをしなければならず、到着するや否や、すぐさま雪かきに汗を流す。 思いのほか、早々に雪かきを終えられたことで僅かな休憩をとって、お水採りを始めることにした。防寒対策をしっかりとして、水場へと向かう。 ふと、水場の先に目をやると、立派な角をもったシカが垣根の葉っぱをついばんでいる。山ではカモシカに遭遇した事があったのだが、いわゆる奈良公園にいるようなシカに遭遇したことが無かったので、びっくりだ。シカもこちらの存在に気が付き、ジッと見つめてくる。しばらくにらめっこをしていると、しょうがないなとでも言うように、ゆっくりと山へ帰って行った。翌朝、シカが居た辺りを見に行くと、無数の足跡が残っていた。 冬の水の里で、連日青空が広がることなど滅多にない。運良く、2日間青空に包まれたのだが、ラジオから流れる地元密着型の天気予報では、朝にかけて雪になり積雪が増すと流れてくる。 普段、お水採りの際に車を停めている場所だと、翌朝まだ暗いうちから始まる除雪作業の邪魔になってしまうので、シカが出没した垣根の脇へとクルマを移動した。 辺りは、すっかり暗闇に包まれていた。そんな闇の中から、突然愛らしい2つの瞳が車のライトに照らされて輝いている。人に慣れているのか、それとも俊敏に身体を動かすことが出来ないほど衰弱しているのか、車の目と鼻の先にいるのに動こうとしない。ライトを消して、またもやにらめっこをする。昨日遭遇したシカとは違ったようで、あの立派なツノは無かった。そのままにらめっこをしているのも可哀そうなので、車から降りてシカに別れを告げる。垣根の葉が何なのかはわからないし、全てでは無いにしろ、その昔山椒の葉が生えていたのは覚えている。山椒の葉を食べに来てるのか、それとも他の垣根の葉を食べに来ているのか、いずれにせよだいぶ食べられているようで、垣根にネットがけられていた。 春もそこまで来ている。何とか冬を越えられるよう、垣根の葉は少し大目に見てやろう。
「 チャレンジ 」
高 志
色々と物議を醸し出した北京オリンピックが幕を閉じた。人権問題に端を発し、開幕前、開催期間中と、各地でデモ活動が行われていたのも当然のことだろう。政治とスポーツを一緒にするべきではないという論調は、もはや机上の空論であり、あれだけの巨大なイベントになってしまっては、一緒にならないわけがない。 それでも、である。4年に1度のあの一瞬のために、それこそ命を掛けて挑んでいるアスリートの姿には、自然と胸が熱くなる。すったもんだの末、オリンピック組織委員会の会長に就任した元祖二刀流・橋本聖子さんは、スピードスケート選手から競輪選手として、冬のオリンピックから夏のオリンピックを経験した。 そんな経験から、夏はものすごい熱狂の渦に包まれたフェスティバルのようだと評し、長年主戦場であった冬のオリンピックはファミリー的な暖かさを感じると述べていた。ただでさえ、寒い中競い合っているから、自然とみんなファミリーみたいに和気藹々となるんじゃないかと笑っていたが、昨夏の東京オリンピックでのスケートボードがそうであったように、特に新種目として実施されたものの中に、いわゆるファミリー的な和気藹々感が見られた。 何故なのか?橋本聖子さんいわく、まず何より技術的に高難度化していることがあげられるそうだ。最高の舞台で、最高の技術を披露する。成功するか否かは次の問題で、まずはそれに挑むことが賞賛される気風が根付いている。特に、スケートボードやスノーボードなどは、10代そこそこで世界を転戦して、お互いに切磋琢磨している言わば同士だ。お互いに手のうちは知り尽くしている者同士なのだ。 スノーボードのビッグエア。岩渕麗楽さんは、女子ではまだ誰も成功していない大技に挑戦して、着地した後に惜しくもお尻を着いてしまい失敗に終わった。4年前の平昌オリンピックにも出場した岩渕さんは、その際惜しくも4位だった。 故に、今回はどうしてもメダルが欲しかった。それでも『自分だけのチャレンジ』に挑戦し、残念ながら失敗に終わってしまい、悔しい思いが込み上げてきたそうなのだが、次の瞬間海外の選手たちが彼女のもとに駆け寄ってきて、見事なチャレンジを讃えてくれたのだ。 その瞬間、『自分だけのチャレンジ』は『スノーボーダー、みんなのチャレンジ』に昇華した。優勝した選手も岩渕さんのチャレンジが女子スノーボーダーのレベルを引き上げてくれたと感謝の意を述べている。 もちろん、チャレンジをし、成功するに越したことはない。人類史上最高難度のルーティンを完璧なまでに成功させた平野歩夢さんにはただただ脱帽だったし、あまりのクールさに自分の子供と変わらない年齢の青年ながら、尊敬の念すら覚えたものだ。長年、スノーボードハーフパイプ界を牽引してきたショーンホワイトさんから、『これからは、歩夢の時代だ』とバトンを引き継いだ光景など、今後も長く語り継がれていくことだろう。 それでも、やはり今回の北京オリンピックでは、結果を問わずチャレンジすることの素晴らしさを教わった気がする。あのオリンピック王者である羽生結弦さんだって、足を捻挫していながらも果敢に4回転アクセルに挑んだ姿は、メダルという形には残らなかったものの、ほぼ完璧な演技をして悲願の金メダルを手にした選手よりも人々の心に残っているのではないだろうか。 日本選手団の主将という重責を背負い、5種目にエントリーし、金メダル1、銀メダル3という超人的な活躍をしてくれた高木美帆さんなど、チャレンジ精神の真骨頂だろう。種目を絞った方が良いのではという周りからの声を自らの結果で黙らせたあの精神力には、まさにあっぱれだ。 残念ながら、今回のオリンピックでもメダルには縁の無かった高梨沙羅さんが、W杯で優勝したとの一報が届いた。彼女のチャレンジもまだまだ続くようで、本当に良かった!!
「 牛の胃袋 」
マナ
友人の家の引っ越しを手伝いに行った。片付けていると旦那さんが集めていた映画のパンフレットが、衣装ケースの中からたくさん出てきた。
ショーン・コネリーの007シリーズ、「時計じかけのオレンジ」「野生のエルザ」「わらの犬」、段ボールに詰めながら、つい手に取ってパラパラ見てしまう。
66歳の旦那さんが観た映画だ。みんな古本屋に持って行くという。
ビートルズの「レット・イット・ビー」もあった。
思わず、もらって帰ろうかと思ったけど、やめた。
今、ビートルズの「レット・イット・ビー」のフィルムが8時間のドキュメンタリーになって、ネットで配信されている。一か月だけ入ろうかと思ったけど、思いとどまっている。
観たいけど、観たくない。なんか、しんどい。心安らかでなくなりそうで。
50年近く前、もっと少ない情報の中、耳と目を集中して追いかけた。
スクリーンの前で、瞬きをするのも惜しかった。
ロック喫茶に映る、荒いビデオの画面にもへばりついた。ワンドリンクで2曲くらいリクエストできたっけ。何時間もねばった。
これ以上知っても、キリがない。どこまでいってもキリがない。
知っても知っても、知らないことだらけだ。
その時縁のないものは、存在しないのと同じだ。
牛は胃袋から食べたものを戻して、また咀嚼しているそうだけど。
今まで、知っていることを、時々、引っぱり出してきて味わうことにしよう。
フランソワーズ・サガン 『毒物』
上田 隆
50年ほど前の記憶を何の脈絡もなく、突然思い出した。信じられないほど鮮明に。
中学の美術恩師の部屋で見せてもらった一冊の本のことを。 ネットで調べてみたら、著者も題名もピッタリ一致した。 フランソワーズ・サガン 『毒物』 中古本の価格は¥4000 近い。もう、これ以上ものを持ちたくない。図書館から借りることにした。
一番近い図書館には蔵書がないので、大きな図書館から取り寄せてもらった。 手元にやってきた本は記憶と少し違っていた。横長の本だと記憶にあったが実際の本は少し丈の短いA4サイズだった。
【1957年の夏、自動車事故のあとで私は3ヶ月間そうとう不愉快な苦痛の捕虜〈とりこ〉となっていたため、「875」(パルフィウム)とよばれるモルヒネの代用薬を毎日与えられた。その3ヶ月が過ぎたあと、私はかなりの中毒症状を呈していたので、その方面の専門療養所に入院することが必要となった。 そのあいだに書いた日記である。】
ビュッフェは一読、感動してイラストレーション カリグラフィを添えた。
「先生、50年ほど前に部屋で見せてもらった『フランソワーズ・サガン 毒物』 の本、突然思い出して今読み返しています。ビュフェの画は特に印象に残っていたのでしょう。ドキドキしながら、見ています。見せていただいたときも、強い直線の画の中に、裸婦のやわらかい曲線は胸の鼓動が高鳴りました。先生に聞こえていないか、心配でした」
「アハハハ、聞こえなかったわよ」
もう、60年のお付き合い。一人っ子の私にとって姉の存在だ。
〈注〉元原稿には本『毒物』表紙写真及びビュフェの裸婦画を撮った写真を張り付けていた。
しかし、その写真二葉は著作権に抵触するので、残念だけれども掲載を止めた。
しかし、とてもステキですぞ。興味のある方はどうぞ図書館からお借りください。
七菜らしい味「マーボ豆腐ご膳」
前回表紙の写真に、と思っていた2月限定メニュー「マーボ豆腐ご膳」七菜のメニューには珍しいピリ辛のベジ麻婆。カラーでないのが残念。
ぶっち君が考案してくれたオリジナルメニュー。「七菜らしい味をめざした」との自信作。熱々の鉄鍋で、グツグツしているのが目にも美味しい。
定番化を望む声が多数あるが、いったん2月末で終了した。
現在検討中だ。
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