2020.12.12.No.601
「 ごめんなさい 」
なな.
やらかした。今生の課題はやっぱり【口】だ。間違いない。
嫌というほど【口は禍の元】を味わってきたのに、もうすぐ還暦を迎えるって言うのに、またやらかした。出来ることなら口から出て行った言葉をかき集めて自分の口に押し込みたい。時を戻せるなら。。。
若いころは気づきもしなかった。なぜ相手が怒っているのか、なぜおかしな空気になったのか、理由を聞いても「なんで?」と思うこともあった。共感力が足りないのか?常識がないのか?両方なのかもしれない。
さすがに経験を積んだ今。「なんで?」と思うことはなくなった。それでも、「そんなことになるかもしれないから今は口に出さずにおこう」と思う前に口が動いている。言った直後に、「こんなこと言ったらいけなかったかな?」と後悔したり、言いながら両手でその辺に漂っている今正に私の口から飛び出した言葉をかき集めたい衝動に駆られることもある。あと一歩、もうほんの少しで口から出る前に気付くことができるのに。
何度経験しても気が滅入る。人を怒らせたり、不愉快な気持ちにさせてしまうのは嫌なものだ。「まただ!!またやってしまった」と思うだけに、激しく後悔する。
せめて心から謝ろうと思う。この週末にお詫びをしよう。
今生の課題はやっぱり口だ。修行は続く。
「 大きく深呼吸 」
高 志
今年もいよいよ3週間ほどになってしまった。年末ともなると、おせち料理を含めお餅など色々と用意をしなければならないし、今年は母の手術も加わり、更に8月から新たな家族となった猫のマコの避妊手術も年内に済ませようということになり、何だか訳がわからなくなってきた。
介護認定を受けている母の同居で、介護に関する打ち合わせがあったり、自宅で受けていたサービスの引継ぎを行い、マコの避妊手術のための検査があとに続く。
そして週明けにはマコの避妊手術、その間もちろん配達があり、それが終わると母の手術前検査と、もう心穏やかになどと悠長なことを言っている場合ではない。
母の手術にしても、病院側と打ち合わせをする中、次々と最善の準備をするため、新たな検査が入るのだが、それを入れるといつお水採りに行けば良いのだ?ということも起きてくる。
物理的に身体は1つしかないので、どう調整すれば良いのか思考不能状態に陥りそうになるのだが、大きく息を吐いて冷静に、冷静にと自分に言い聞かせてどうにか答えを導き出している。
そんな時に限って、阿部家の愉快な面々はありえないことを平気で引き起こしてくれる。大抵大事にしてくれるのが長女の汐里で、年の瀬も迫ったこの時期にやらかしてくれた。
具体的なことは現段階では何もお伝えできないのだが、思わず『はぁ~っ?』と口から漏れてしまうようなことに陥ってしまうところが彼女らしい。
詳細を聞くと、決して笑えない事態なのだが、実際に末っ子の進は話を聞いて大爆笑した。いわゆる『それ、ドラマや映画で見るやつじゃん!!』という類のものなのだ。
まあ、もう慣れっこになっているので、話を聞いてもいちいち驚きはしないのだが、それを踏まえて今後彼女がどう行動していくのか見守っていきたいと思う。いつの日か、この詳細をお伝え出来るようになればよいのだが。
こんなことだと、あっという間に年越しなんてことになってしまいそうなので、ここらで気持ちを落ち着かせてと思うのだが、前回も書いたがいかんせん心がさざ波たっている。
その原因が判明すれば、落ち着きを取り戻せるのだろうが、それがわからないからモヤモヤしてしまう。朝、目覚めても、まずその日が何日で、今日は何をするのかを確認しなければならないほどモヤモヤするなんて、いつ以来だか思い出せないほどだ。
前段階で記したが、次回のお水採りが何だか慌ただしくなりそうなので、今回のお水採りで次回に必要なものも用意したのだが、ここに来て来週以降強烈な寒波が押し寄せるという予報が耳に飛び込んできた。いくら寒さが厳しい水の里とはいえ、まだ朝方凍るほどではないので、ついつい油断をしてしまったのか、真夜中に水の里に到着する予定でいた。
不吉な予報で、水の里に真夜中に到着する予定を回避できないかと慌てて頭をフル稼働させると、1つのアイデアが浮かんできた。そのための根回しをしようと各方面に連絡をしたのだが、肝となる人物からなかなか返信が無い。そうこうするうちに、ふっと新たなアイデアが浮かび、誰にも手を煩わすことなく真夜中到着を回避できる手段を思いついた。
その旨、各方面に連絡すると、先ほど返信が来なかった肝なる人物からも返信が来るのだから、その前のアイデアはやはり良策ではなかったのだろう。
こんな風に、残り3週間でも色々と思いもよらぬ事が起きて、頭の中がわちゃわちゃするのだろうが、その都度大きく深呼吸をして、ちょっと立ち止まり、自然な流れに身を委ねることにしよう。もしも流れが滞ることがあるならば、それは良策ではないと切り捨てよう。
ちなみに、根回しをした中で肝となる人物とは、我が長男にして天然君の伸です。彼には敵いません!!
「 形見送り 」
上田 隆
「道楽の一つも出来んようではなぁ~」
芝居か落語の中のセリフにありそうだ。私の道楽はなんだろうか。それは万年筆だったようだ。
しかし、“身上(しんしょう)を傾けてこそ道楽” と言われると心もとない。
二十年近く前の話。 カミさんのおやっさんと話していた。
「この歳になって初めてエエ万年筆が欲しなったんで明日、百貨店行ってハリコモ、思てますねん。素人やから出たとこ勝負、不見転(みずてん)で」
「ちょっと待ち。三〇年以上前にヨーロッパ行ったとき買うたモンブランがあるはずや。すぐ使わんようになってどっかに仕舞もたままやから、それあげるわ」
押入れから出てきたのがこの金張りのモンブランだ。 「なんぼか忘れたけどエエ値、しとったんやで。そやけど不見転なんて言葉、よう知ってるな」
これがきっかけで昔あそんだ話、うらやましい話をさんざん聞かせてもらった。戦争が始まってからも、あそんでいたと言うこのおやっさんは、その父から
「なんぼあそんでもええけど女郎をヨメハンにするんだけはやめとけよ」
と釘を刺されたそうだ。そんなあそび人が選ぶペンは金張りか、おれとはだいぶ違うな。せっかくやから自分はこれや、いうペンを手に入れよう。心の中で思った。そんな気持を察してか
「お父さんの形見や思て、使てあげたら」
義父のいないところでカミサンが笑いながら言った。
― おやっさん、まだ生きてるやないか ―
この万年筆はモンブラン1246、往年の銘品だそう。いただいて数年後にインク漏れを起こした。
私用にペン先研ぎをお願いしている万年筆職人さんに修理をお願いしたが、中の移植可能な部品がなかなか見つからないと言う。数年後にやっと修理を終えて帰ってきた。
「長~い間宿泊していたモンブラン、移植手術可能なおおよそ40才のモンブランを友人が探してくれました。とりあえず分解手術をし、確認をし、移植手術を成功いたしましたので無事退院です。どうぞ、お義父さん(おとうさん)を思いつつ使ってあげてください」
届いたのは義父の三回忌の日だった。びっくりした。
そして、この万年筆モンブラン1246は形見送りでいずれカミサンの元へ行く。
しかし、残念ながらカミサンは万年筆使いではない。おやっさんからヨーロッパ土産のモンブラン・ジュニアをもらったのは小学生だったそう。藤本義一から文章のご褒美でもらったワイン・カラーのモンブラン144も持っているが万年筆を使う姿は見たことがない。 そして、この形見送りのモンブラン1246は御年五十才近い。繊細な使い方を必要とする。使うにあたっての私の知る限りのことを伝えておこうか。でも、気が向かっていなかったら頭に残らない。
そうか、カミサンが使うときには背後にまわって伝えに行こう。映画『ゴースト』のように。
「移植していただいた部品も古いよ。寄る年波のかよわい吸入機構はパッキン、稼働部品が多いので使わないのが無難。付けペンが安心、安全だよ」
私の声が聞こえるかな。楽しみができた。
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