2019.08.17.No.567
「 冷やし中華のたれ 」
なな.
やっぱり冷やし中華!夏には食べたくなりますよね。
こんな風に薄切りの豚肉の冷しゃぶと、きゅうりとトマトがあれば、後はササッと錦糸卵的なものを作って、残っている炒め物とかお惣菜もトッピングして。。。
ただ、市販の麺に付いてくるたれは化学調味料や砂糖、保存料などよくわからないものや食べたくないものも入っていますよね。
わが家では麺だけを買い、最初に食べる時にたれを少し多めに作っておきます。ペットボトルに入れて冷蔵庫に冷やしておけばしばらく持ちますし、甘酢味に仕上げたい時にはさっとお手軽。アレンジしてドレッシングにも。ぜひ、お試しください。普通の麺つゆもかつおだしでちゃんと作っておいて並べて冷蔵庫に入っています。どちらも時短に一役買っています。
「 もはやどこにいても 」
高 志
7月中旬から始まったこの酷暑。以来、ひと月余りも高温状態が続いている。照りつける陽射しを避けて室内に居ても、座っているだけで汗が滴り落ちてくる。
せめて湿度が下がってくれれば良いのだが、次から次へと生まれ来る台風の影響なのか、はたまた湿度が高い状態が続いているから台風が生まれ来るのか、それは素人にとっては計り知れないものなのだが、どちらにしても身の危険を感じるレベルであることは間違いなさそうだ。
その昔、この時期になると、世田谷の団地の5階、家中の窓を開け放ったトラさんが、上半身裸の格好で『早く、東京を脱出して山へ行きたい!!』と言っていた姿を、ふと思い出した。
お盆休みの関係で、1週間ほど遅れての水の里行きとなったが、あいづの水を見守り続けている十一面観音様に捧げるお酒を用意して、いよいよ山へと出発した。
このお盆休み、最大で9連休となる人もいるようで、道路交通情報ではすでに各地で帰省ラッシュによる渋滞が報じられており、その区間を避けるようにルートを設定したところ、それほど渋滞の影響を受けることなく、水の里へと到着できた。
道中、日も暮れかかり、鬼怒川を越えて栃木県内に突入しても、一向に気温が30℃を下回らないので、少々ドキドキし始めたが、ようやく福島県内に突入すると30℃を下回り、さらに山道を上り始めると25℃くらいまで気温が下がってくれた。それでも、そんなもので、涼しいと感じるほどではなく、暑いと感じない程度の気温であった。
すぐさま、布団を敷いてタオルケット1枚で横になったものの、朝方は肌寒くて目を覚まし、頭の上にあった毛布を手繰り寄せたほどであった。
翌朝、山の尾根から照り付ける太陽は容赦がなく、すぐに森のバスの窓を開けはなったのだが、すぐにバスの中には居られないほど暑くなった。
残念ながら水の里であっても、日中の陽射しは暑い。ただ湘南よりも湿度が低いため、陽射しを遮ることができれば、幾らか過ごしやすいのだが、近年はその湿度も徐々に上がり始めており、お水採りも熱中症対策を講じなければならなくなってきた。
それは東北釣堀苑を訪れるお客さんの足並みを見ても顕著になって来た。それこそ、僕が水の里に通い始めた頃は、11時前にお客さんが来るなんてことは稀であった。
それが気温上昇とともに客足の出が早まり、10時台で満車になるようになったなと思っていた矢先、今では9時を回るころにはお客さんで賑わい始め、そして、午後も2時を回るころになると段々とお客さんの数が減りだすようになった。
簡単テントを張って、水場でお水採りをしていても、気が付いたら口の中が渇いてくるのだから、炎天下で岩魚釣りをして、炭火で焼くのではいよいよもって倒れてしまいそうなものだ。
その晩は、台風の影響もあってか蒸し暑く、日中開け放たれたバスの中に入りこんだ数十匹のアブにも悩まされ、結局朝方までいつ寝たのかわからないほど、不快な夜を過ごすことになった。
もはや、トラさんが暑い東京を脱出して行きたがった水の里は、避暑地ではなくなってしまったようだ。帰り際、十一面観音様にお酒を捧げようと、祀ってあるお堂へ向かうも、例年なら幟が上がり、正面の戸が開けられているのだが、それすらもなく1年前のご開帳から開けられた気配がないほどの状態であった。
さすがに正面の戸は開けられないので、横の扉から簡単に中を掃き掃除し、暗闇の中十一面観音様に手を合わせてきた。
様々な事に、時の移ろいを感じざるをえなかった今回のお水採りであった。お盆休み明け、汐里と伸が佐渡に行くと言っているのだが、はてさて・・・!?
「 ラダック脱出 」
上田 隆
晩食べに行くチベッタン食堂の従業員たちとはすっかり懇意になった。母親をバス停に付き添ってモスリム警官からはずかしめを受けた彼とは特に親しくなった。
「あんまりのんびり構えない方がいいぞ。ラダック脱出は一筋縄ではいかない」
泊っている宿はちがうけれど他の日本人ともお互いに情報交換する。外人を含めたみんなが言うには“飛行機便はあきらめろ”だった。コネがないとまったく無理だ。それに金で解決しようなんて、貧乏旅行者の風上に置けない。臨時バスが出る、そんな情報が伝わってきた。日時まで調べて教えてくれた。バス停に行くと30人ほどが待っていた。やってきたバスは乗り込もうとするチベッタンたちを押し戻し、走り去った。
「くそっ、金持ちたちに買収されたな」
ずいぶん離れたところで、ある一団を乗り込ませたそうだ。その夜のチベッタン食堂では、その話題で持ち切りだった。『ラダック脱出は一筋縄ではいかない』それが現実となった。
「ヒッチハイクで行け」そのアドバイスに従うしか、なさそうだ。2ルートある。来た道を戻る西へのスリナガール行、もう一つは南下し5000mの峠を越えるマナリへのルート。ありがたくもないオマケ情報も付いて来た。 「途中で私設検問所ができている。人の弱みに付け込む連中だ。金を払って通行証を手に入れないと追い返されるそうだ」
日本人の男と若い女性の三人で教えられた家に行く。印刷された通行証を見せられた。安くない値段を提示された。彼は用事ができた、と言って外出した。女性がウインクした。
「私の仕事はレタリングよ」
彼女は人数分の用紙を切り取り、見本の通行証のサインを真似た。それだけで通行証が手に入った。
われわれは5000mの峠を越える南下ルートを選んだ。教えられた通りに未明から道路で待った。8月だというのに乾燥地帯の放射冷却は寒すぎる。凍てついた空の星はまたたいている。ラダックで見た一番の星空だった。じっとしていられない、寒さをしのぐために歩き回った。何日も空振りだった。チベッタン食堂で確認したら、ヒッチ・ポイントは間違いではない、と言う。
数日後、やっとトラックが止まった。料金は安くはない、他に選択肢はない。ドライバーは背は高くないが全身筋骨隆々、重量挙げ選手かプロレスラーかと見まがうほど。すぐに理由が分かった。山道はくねくねと折れ曲がる。パワ・ステでないハンドルを全身を使って延々と切り回す。命は預けた。5mほど下に横転したトラックがあった。崖ではなかったのが、せめてもの幸運。その運転手は料理をしていた。
5000mの峠は雪が舞っている。8月下旬だというのに。
「お前たち、ラッキーだな。9月になれば、もう通れないだろう」
途中の私設検問所はフリー・パスだった。高山でトラック泊をした。運転助手が油まみれの真っ黒な手でカリーとチャパティを作る。彼の手はすっかり白くなった。翌日目的地マナリにたどり着いた。
終わり
0コメント