No.629「お正月っていいもんだ」「今年も頑張ろう」「新しい歳に」

2022.01.08.No.629

「 お正月っていいもんだ 」

なな.

明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。 

 今年も楽しいお正月だった。とにかく皆が元気で集えたのがありがたい。 改めて「家族が集うお正月っていいもんだ」と思うようになったのは子等が巣立ちの時期を迎えたからだと思う。

  数十年前、実家を出るときの私は親の気持ちなどこれっぽっちも考えていなかった。わずかにおセンチにはなったが、これから始まる自分だけの世界に胸を膨らませていただけだった。4人の子供たちも、家を出るときには前しか見えないだろう。そうやって勢いよく巣を飛び立っていってくれることを願ってもいる。

  でもお正月くらいは大好きなお雑煮を食べに顔を出してくれたらうれしいな。暖かい部屋と鍋いっぱいのお雑煮を用意することにしよう。にぎやかなお正月になるだろうな。楽しみだ。



「 今年も頑張ろう 」       

高 志 

明けましておめでとうございます 今年もよろしくお願い致します

  いつものように慌ただしい年末を過ごし、すべての業務を終えて帰宅すると、残りわずかとなった2021年、令和3年があれよあれよという間に過ぎていく。値段の割には、舌触りの良いスパークリングワインなんてものをあおっていたら、食卓に着いていた家族から『明けましておめでとうー!!』の声が響いていた。

  昔からアルコールにはからっきし弱いので、全身を真っ赤に染めながら布団に潜り込んだのだが、目覚まし時計のセットだけは怠らなかった。

  夢うつつの中、目覚まし時計の音がけたたましくなっているのに気が付いた。起きもしない進がまたまた無駄に目覚ましをセットしたのかと、寝ぼけながらもイライラしていると、いやいや進の音とは違うし鳴っている場所も違うことにようやく気づいて飛び起きた。 

 すぐに着替えをし、防寒対策ばっちりに白み始めた空の下へと踏み出す。ぐるっと空を見渡すと、雲一つない快晴だ。同じ目的の人たちが、同じ目的の場所へと向かっていく。その場所へ近づくほどに、人の数も増えていく。 

 海岸へ出る歩道橋を登り始めると、正面に見える伊豆大島の上辺りに雲が横たわっているのが気になった。過去にも、上空は晴れているのに、よりにもよって地上付近で雲が邪魔をしていることが何度かあった。

 歩道橋の中ほどで多くの人たちが西の空に目を向けている。程よく雪を被った見事な赤富士が、間もなく初日の出が見られることを知らせてくれていた。

 そのまま東の空に視線を戻すと、先ほどの懸念などキレイに払しょくされるような雲一つない空に、黄金色の希望に満ちた光が段々と濃くなっていく。

 すでに東の空を向いた人たちでいっぱいになった砂浜を、その間を縫うように自分のポジションを確保しに歩いていく。しばらくすると、比較的に人もまばらな場所が見つかった。後ろの赤富士をもう一度目に焼き付け、改めてその瞬間を待つ。

 辻堂海岸から見える初日の出は、江の島の少し左側、三浦半島の上から上がる。黄金色だった陸と空の境界がわずかに白光に変わると、すっと2022年、令和4年の初日の出が姿を現した。

 その全貌が明らかになる頃には、場所を江の島の上に移している。江の島から照らし出される金色の光は、穏やかな海面を照らしながら、その陽射しを見つめる人々を射抜いている。『皆に幸あれ』、その光が、そう言っているようだった。

 今年最初のお水採りは、年末年始に降った大雪がそのまま残っている中で執り行われた。常に雪の情報は耳に入れていたし、例のライブカメラでチェックもしていたので覚悟もしていたのだが、目の当たりにしたその光景は覚悟を超越していた。一面に広がる新雪に足を踏み入れると、何の抵抗もなく太ももまで埋まってしまった。 

 雪かきに3時間余りをかけて、どうにか駐車スペースと作業スペースを確保したのだが、この水の里で暮らす村の人々は、こんな事を毎日行っている。20数軒しかいない人々の大半が、僕の母と同世代か若くてもひと回り下くらいの年齢だ。雪かきで身体中が痛いなんて弱音を吐いていたら、それこそ『ばかものっ!?』と怒られそうだ。

  村人たちに負けないように、今年も頑張ろう!!            



「 新しい歳に 」          

上田 隆

年末、「来年はいい歳になってほしいなぁ~」 でも…… 何を書けばいいのかな~~ 

 みんなが元気になれる話題が見つからない。 

 そんな時、北に住むTちゃんから ショート・メールが入った。

 「今、NHKの大阪万博の番組を見ています。確か小生が高校2年生、スワヤン(私のネパールでのあだ名)は大学生だよね。貴兄は万博に行きましたか?」

  私の返信 

 「私も見てた。反博だった。行っていない。オヤジが『見に行け』と金くれたが飲んだ」 

  

 万博があったのは1970年 今から52年前になる。誰に会っても 

 「万博行っただろう?」

 の質問。うんざりしていた。夏休み、私は母の生家がある石川県・小松市に行った。工務店を営んでいる叔父の下で大工のアルバイトをしていた。ほぞ継ぎ加工の仕事に入り込んでいた。墨付け通りにのみを刻む。ゆるいとほぞが効かない。きつすぎると建前のとき、ほぞが入らない、無理をすると材が割れる。

  外で仕事をしていると、毎日いろんな人がやって来た。話題はお決まり 

 「万博はどうやった?」 

 「行ってません」 

 みんなが怪訝な顔をした。日本中がお祭り騒ぎだった。この田舎からも団体ツアーで万博へ。 行きの列車の中ではお上りさんたちが踊っていた。今に比べたらおおらかな時代だったと思う。 

  

 1970年大阪万博のテーマは 【人類の進歩と調和】

  人間は進歩しているのだろうか? はなはだ懐疑的な立場だった。科学技術は疑問なくまっしぐら、だろうが。 

 番組の中で岡本太郎が 

 『人間 少しも進歩していないですよ』

 と言い放っていた。太陽の塔 は生命エネルギー。技術文明の象徴であるお祭り広場の鉄骨大屋根を突き破っていた。 


 2025年 大阪でまた万博。今度は 【いのち輝く未来】

嘘もいいかげんにしろ。

自死した赤木さんの告発には知らぬ存ぜぬ。しぶしぶ出したのは真っ黒ファイル。嘘のつきようが無くなると【認諾】 金払うから裁判は終了させる。どうせ、税金で集めた金だ。権力の本音。 

 名古屋入管ではスリランカ出身のウィシュマ・サンダマリさん(当時33歳)がで亡くなった。  真相が明かされず、闇から闇に葬ろうとする。この国が次にするお祭り騒ぎは 

 【いのち輝く未来】  

 

ラ・ラビアータたより

都会の子供に美味しい山の湧水を飲ませたい。1995年、友人の言葉をきっかけに、会員制で南会津の湧水を宅配し始めてから月2回のペースで発行を続けているLettela L'Arrabbiata/ラ・ラビアータたより。オーガニック七菜の日々がつづられている。水の里、キャンプ、イベント、出産/子育て、開店、ケータリング、料理…過去から現在まで、七菜の歴史である

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