2021.05.15.No.612
山に春を告げるこごみ
「 続・七菜家の連休大整理 」
なな.
TV特集でやっていた「家中を 3日で片付け切るコツ」を簡単に
- 1日目、衣類の整理 持っている衣類を下着まで全て出し、着る物着ないものに分ける。着ないものは当然処分。残すものはとりあえず紙袋などに入れて仮置
- 2日目、キッチン整理物を同じように全て出し、仕分け。動線を考えて取り出しやすく入れ直す。
- 3日目、リビングの整理個人の物は置かないというルールを作り、出ている物は各自のスペースに片づける 衣類が減り、スペースができているのでちゃんと納まる。足りない収納容器はサイズを計って買い足す。
七菜家の連休大整理。さて、どうなったでしょうか?
1日目、衣類の整理はすんなり終わる。とはいえ、こんなにあったのか?という量。全て1階のリビングに出してみたが、うんざりする量だった。昼食は息子に頼んで専念する。大きなビニールがいくつもいっぱいになりごみの山。
2日目、午前中キッチン。シンク上の棚の中が全てごみだったのには笑った。後はわりと上手く片付いていることにしてさらっと終わり。午後は2階の廊下に山になっている要るか要らないか判断しにくいものたち(これが意外と時間がかかる)廊下の収納の扉が久しぶりに開いた。燃やせないゴミが大量に出る。
3日目、リビング横の物置の整理。ここは難所。9年前に引っ越してから開けていない段ボール5個が入っている。中身は本と書類そのまま捨てるわけにもいかず。全て出して仕分けする。5箱のうち3箱はブックオフに持ち込むことに。
途中、体調の良くない両親に呼ばれたりして思うように進まず。リビングまでたどり着けなかった。連休中に、本とまともそうな衣類を売りに行き千円くらいになったが、査定中に夏物を4千円も買ってしまい反省。翌週末の9日にリビングの古いラグなどを取り替えたが、まだすっきり!!というところまでは行かない。
何よりごみの山に驚愕。山と積まれたビニール袋がやっとなくなり、これから家に物を持ち込むときは本当に必要なのか?と立ち止まり考えなくてはと猛省する。
よく頑張った。と思う。そしてちょっと頑張りすぎたのか、ぎっくり腰のおまけがついた。動けてはいるがおっかなびっくりだ。
「 思うがままに 」
高 志
新緑の季節だというのに、なかなか天気が安定しない。天気どころか、気温も安定しないので着るものに困ってしまう。首都圏にいてもそうなのだから、水の里はなおのことだ。
今回の滞在期間中にも、霜注意報が出されるほど朝晩は冷え込んだ。日中の陽射しは相変わらず強いのだが、前回までと違い、風が冷たいので汗ばむことはなかった。
そうすると、山菜の出方にも影響が出てしまい、目論み通りには収穫することが出来なくなってしまう。前回”こごみ”が採れたから、今回はタラの芽やコシアブラかなと期待していたのだが、大型連休明けに山を散策した東北釣堀苑の若旦那・とも君の報告によると、まだ芽吹いたばかりで収穫するには早いということだった。
そんな報告を待たずして、早朝に山を散策する予定で、お水採りやその他の作業も目処を立たせていたのだが、何だか気乗りがしない。まあとにかく、山に入るかどうかは朝目覚めてからにしようと布団に潜り込んだのだが、空が白み始めた頃に目覚めても、『よしっ、行こう!!』という気にはならなかった。
前回”こごみ”を採りに行った際には、何の迷いもなく朝目覚めて出発したのだが、今回はどうしても『よしっ』とはならなかった。
水の里に通うようになって20年余り、春の山菜や秋のキノコと山を歩き回ったのだが、それこそ最初の頃はがむしゃらに歩き回って、何の収穫もなく山を下りてくるいわゆる『空戻り』ということが良くあったのだが、近ごろは虫の知らせではないのだろうが、行きたいと思わない、いやむしろ行きたくないと思うことがままある。そうした折に山へ行った若旦那・とも君に聞くと、大概は『空戻り』であることが多いのだ。
これも1人で山を歩くようになってから身についたもののように思う。誰かと一緒に行くとなると、どうしても自然からのシグナルを遮断してしまうらしい。もちろん、収穫物が無くても山を散策するだけで充分に満喫できて良いのだが、収穫することが第一目標となる1人歩きとなると、より一層敏感になるようだ
水の里での生活の拠点となっている森のバスの前に、かなり前に山から持って来た植えたウドの新芽が顔を出していた。一時には、それが自然と数を増やし、かなりの数になることもあったのだが、ここ数年は勝手に村人たちが持って行ったりしていたので、すっかりウドのことを気にかけなくなっていた。
まあ、今回山を散策して、少しでも収穫物があったのなら、バスの前のウドにも手が伸びたのだろうが、収穫物ゼロの中でウドだけ持って帰るのも何だか味気ない気がして採るのをやめた。
それに、そのウドの姿が、2本寄り添うように芽吹いており、片方が少し背が高く、まるでつがいのように思えたのも、手を伸ばさなかった理由でもあった。
山の報告を受けたついでに、大型連休中は忙しかったかと若旦那・とも君に聞いてみると、天気が良くなかったこともあるし、会津若松でちょっとした新型コロナのクラスターが出たということもあるのか、すーっと客足が減ったとこぼしていた。これなら、去年の今ごろの方がよっぽど忙しかったと嘆いていたが、あれから1年以上が経過しても、状況が良くなるどころか逆に悪化しているのではないかと思わされてしまう現状に、2人してため息をつくしかなかった。
森のバスの前のウドにしても、お水採りをしている水場の脇の葉わさびにしろ、自然は人間社会のパンデミックなど微々たる問題だとばかりに、イキイキとその命を輝かせている。そんな姿を目の当たりに出来るだけ幸せというものだ。次回は、『空戻り』でも良いから山を散策してみようか。その時、『行きたい!!』と思ったならば・・・。
「 カツオ福袋 」
上田 隆
昨年の冬、中学恩師のS先生と連絡が取れなくなった。S先生は20年以上前に退職されて故郷の尾道に住んでおられる。私は年に数回電話を差し上げて声を聞くのが楽しみだ。畑を楽しんでおられ、枝豆を毎年送ってくださる。プリプリの枝豆はもちろん無農薬でとてもおいしい。
「先生、着きました。ありがとうございます。マナミと取り合いでいただきました」
「そう、よろこんでくれて、うれしいわ」
S先生の声は若いときと変わらずお元気だ。声を聴くだけでこちらも元気になる。
しかし、電話にお出にならない。携帯もパソコンもなさらないのでメールも打てない。コロナの中で長旅をなさるはずがない。状況がつかめないので手紙も遠慮した。ご病気ではないか。
先生とのお付き合いは長い。中一の美術担当で初めてお会いした。私12歳、先生は若々しかったが新卒ではなさそうと想像した。どこか落ち着いた感じで、ゆったりとされていたので。
担当してもらっていた美術ではいい生徒ではなかった。小4の時、担任から
「上田の絵は色遣いが暗い。もっと子供らしく明るい色を使うように」
と言われた。それで絵が描けなくなった。最後まで仕上げられなくなった。
西部劇の舞台になる赤茶けた大地に立つ岩山はご存知でしょう。モニュメントバレーと言う。映画『駅馬車』の舞台になった。私は夏休みの宿題にこの景色をなんとか描いて提出した。赤茶けた土色と影だけの配色だった。
二年生になって、S先生は美術担任から外れた。そして、こう言われた。
「上田クン、あの絵は印象的だったわ」
S先生のやさしさを感じた。私の心の奥底を見てくださっている、と感じた。私は反抗心そのものの生徒だった。大半の教師に嫌われていたが、S先生のそっとしたまなざしに救われていた。
59年間のお付き合いになる。私の年長の先輩や友人たちとも飲み仲間になっている。その友人夫婦が
「ジョー、やっと先生と連絡ついたよ。入院されていたが、今は自宅におられるよ」
「上田クン、出かけている時に気を失って倒れていたの。顔や頭にかなりケガしたわ」
いつもの明るい声だった。少しお疲れを感じたが。
「原因はわかりました?」
「一か月間、徹底的に調べてもらったけどわからなかったの。もう、することはありませんって」
「夜中トイレに起きてベッドに座ると後ろにパタッと倒れるの。もう八十三だものね」
「えっ、先生のお歳、初めて知りました」
「あらっ、そうだった?」
「女の人に歳を聞いてはダメだ、と教えられていたので」
「アハハハ」
時々電話を差し上げる。その度に元気が伝わって来るのがうれしい。勧められた鍼が合ったようだ。
「あらっ、上田クン、ちょうど良かった。福袋もらって」
「えっ?」
「友だちから、『元気づけ、景気づけよ』って、カツオの福袋をいくつももらったの。最後の一つ、縁だわね」
カツオの福袋って、どんなものだろう? 宅急便屋さんが差出したのは大ぶりの真っ赤な福袋だった。いろんな鰹節製品が入っていた。鰹節屋のおもしろ企画のようだ。お礼の電話をした。
「笑うでしょ。笑えばいいのよ」
ずいぶんお元気になられたようだ。
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