No.578「みんなのお家では豆まきするのかな?」「暖冬傾向」「あいさつ考」

2020.01.25.No.578


「 みんなのお家では豆まきするのかな? 」

なな.

  昨日は月に1度の食育の日。食文化という言葉があるように、食はその国の生活に深く根差す大切な文化だ。インターナショナル保育園なので、先生は半分が外国人。日本の幼稚園などは季節の行事があるけれど、きっと豆まきなどにはしないと思う。食育で日本文化について少しでも触れることが出来ればと思いテーマを選んできた。小さい人にどうやって伝えればいいかがとても難しい。図書館で絵本を探してみたり、自作で紙芝居を作ってみたり。準備が意外と大変だ。

 昨日は節分にちなんで豆を食べたり、手巻きずしを作って食べたり。いつしか小さい人との交流が楽しくなった。



「 暖冬傾向 」

高 志

 やはり暖冬なのだろう。お水採りに出かける直前、水の里近辺に設置されているライブカメラで積雪状況をチェックすると、全く雪が無かった。ただこの映像は、路面状況を確認するものだから、山肌の様子は映らない。いくら路面には雪が無くても、山は白く染められているのだろうと思っていた。

 路面状況が良好で、天気予報も悪くなければ、それだけで心が軽くなるのが冬場のお水採りだ。それでも夕方以降には路面凍結の恐れが出てくるので、なるべく早く水の里に向かうことにした。

 関東平野は青空が広がっているものの、北の空は雲に覆われているといういつもの冬の光景なのだが、やはり圧倒的に雪が少ない。標高の高い那須山系の山並みには雪が見られるものの、おおよそ1000m前後の山々には全く雪が積もっていなかった。

 白河市から天栄村に地名が変わり、いよいよ山道を上り始めても雪らしい雪を見ることが無かった。雪があるのは除雪によって日陰に集められた雪のみで、山肌には全く雪が無い。鳳坂峠を上り切り、向かいに見える羽鳥湖スキー場のコースゲレンデだけが白く浮かび上がっているのが、何とも不思議に映った。

 相変わらず路面は好調で、そもそも山肌に雪が無いのだから、路面に雪などあろうはずがないのだが、普段なら雪に閉ざされるこの季節に、ストレスフリーで運転がきるのは、この上ない幸せなのである。

 それは水の里に着いても変わることは無かった。前回訪れた際に残っていた雪もすっかり消えてしまい、その光景だけを見せられたら11月と勘違いしてしまうほどだ。ふと、村の外れにある気温表示計に目をやると、2℃の文字が点滅している。夕方4時前でこの気温なのだから、寒いことには違いないのだが、いかんせんそこには雪だけが無かった。

 夜、寝る前に用を足そうと森のバスから外へ出ると、空一面に星が輝いていた。天気予報では、夜から翌日は雪予報であったが、最近は会津の天気予報よりも宇都宮や大田原の天気予報の方が水の里には当てはまるようになったので、今回もそうなのだろうと輝く星を見ながら思い、布団に潜り込んだ。

 雪が積もった際には、まだ暗いうちから除雪車が作業を始めてくれるので、その音を聞くことで『あ~、また夜のうちに積もったか』と思い目覚めるのだが、この日は除雪車の作業する音が聞こえなかったので、やはり会津の天気予報は外れたなと思い、窓の外を覗くと何とまあ、一面銀世界で、しかも吹雪いているではないか。

 慌てて防寒対策を施して外に出てみると、約5㎝ほどの積雪であったが、この後降り続いたらどのくらい積もるのだろうかと危惧しながらお水採りを始めた。

 雪は、強まったり弱まったりしながらも、終日降り続いた。なのに、朝の積雪から上積みされることはなかった。お水採りをしながら飛んでくる水しぶきが、防寒パンツに付着して凍り付くほど寒いにも関わらずである。

 水の里は寒い。この寒さだけを見れば、誰も暖冬などとは思わないだろう。でも、そこには雪がないのである。この日、積もった5㎝程の雪は、終日雪であったにも関わらず少しずつその姿を消していき、翌日朝から降り注いだ陽射しに寄って、お昼頃までにはほとんど消えてしまった。

 結局、除雪車の出番を待つことなく、消雪してしまったのである。気温は朝晩には氷点下になるほど低いし、お天道様の陽射しが強いというのもあるのだろうが、終日雪が降り続いても積もらないというのは、どういうことなのだろうか。

 気象庁からの長期予報では、2月も暖冬傾向が続くという。はてさて、どうなることやら・・・。


「 あいさつ考 」

上田 隆 

 今年も年賀状をいただいた。普段、会うことのない人たちの消息を読ませていただくのはホッとする。初めて年賀状を出したのは小学5年生の担任K先生宛だった。私はこの先生が好きだった。それまで、授業にまったく実が入らない生徒だったのが、K先生の話には聞き耳を立てた。勉強ではなくて、先生の雑談が好きだった。

 『花菱アチャコは知ってるよな。銭湯で一緒になった。いつもの顔と正反対。口をへの字に曲げて、むつかしい顔で湯につかっとった』 

 花菱アチャコは稀代の喜劇人、漫才師。テレビで見せるクシャクシャ顔との対比がありありと眼前にあった。

 先生の住所は今でも覚えている。××区○○町中1の3。ついさっきのことが思い出せないのに、60年前の住所・番地は忘れていない。記憶とはそんなものだと聞くが、加齢の証明に苦笑してしまう。

 今年も“年賀状じまい”をいただいた。高校以来の友人は『来年からはメール年賀にさせて頂く』。

 ある先輩からは 『賀状にネズミ描いてから今年で60年。キリもいいので、これにてウチドメ』 これなんか、あっさりしていてイイなぁ~。

 中学恩師S先生からは二年生続けて喪中ハガキが届いた。一昨年に従弟、義弟、義姉を亡くされた。昨年にはお兄さんが亡くなられた。 『当方の賀状は控えさせていただきますが、いただくのはありがたくお受けいたします。にぎやかなことの好きだった故人も喜ぶことでしょう』

 賀状を出した。うれしいお返事をいただいた。


 2016年にこんな記事を見かけた。

以下はJ-CASTニュースより引用 

マンションの住民が集まる総会の中で、「(子供に)知らない人にあいさつされたら逃げるように教えているので、マンション内ではあいさつをしないように決めてください」 と提案したという。

その上で、子供には声をかけられた相手が住民かどうかを判断できないことから、「教育上困ります」とも話していたそうだ。

 この提案に、総会に出席していた年配の住民も賛同。あいさつをしても相手から返事がなく「気分が悪かった」として、「お互いにやめましょう」と意見が一致し、最終的に「あいさつ禁止」のルールが明文化されることになったという。


 この国はとうとうここまで来たのか。電車に乗ればほとんどの乗客はスマホをのぞきこんでいる。この国からは人間同士の語り合いが消えていくのだろうか。 

 「あいさつ禁止」のルールには賛否両論がある。へそ曲がりでおしゃべりな私は、もちろんあいさつ派だ。「あいさつ禁止」の記事を読んでからは、よりつとめている。年始などは一層いい機会だ。

 リハビリ・プールの職員にもあいさつは欠かさない。一人の職員には 

 「Rさん、年始挨拶まだやったよね」

 「そうでしたね。明けましておめでとうございます」

 「明けましておめでとうございます。忙しそうにされてたんで、声かけられへんかってん」

 「忙しいふり、してるだけですわ」 

 冗談まで返してくれた。 


 ハグの輪を続けている若者がいる。彼は韓国に行きハグ。韓国の女性は日本に来てハグ。心から応援します。  


ラ・ラビアータたより

都会の子供に美味しい山の湧水を飲ませたい。1995年、友人の言葉をきっかけに、会員制で南会津の湧水を宅配し始めてから月2回のペースで発行を続けているLettela L'Arrabbiata/ラ・ラビアータたより。オーガニック七菜の日々がつづられている。水の里、キャンプ、イベント、出産/子育て、開店、ケータリング、料理…過去から現在まで、七菜の歴史である

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