No.642「生きる」「蒸し暑さは増すけれど」「祇園祭り」

2022.07.23.No.642


「 生きる 」

なな.

 あー!こんな写真を表紙にしたらあとで怒られる。親子でも肖像権とか言って訴えられるかも? 

しかも、2月の写真なので、服装が暑苦しくてすみません。 


  昨日、両親宅のエアコンの調子が悪くなったので業者さんに見ていただいた。 23年前に設置したエアコン。しかも埋め込み式、室外機は1つだけど2部屋のエアコンを動かしていた。この猛暑、91歳と89歳の老人宅では、エアコンの故障も命にかかわりかねない。(?本当なのかな?という気もしないではない私ではあるが)ということで、急いで手配をした。

 簡単に、新しい簡単なエアコンをつければいいと思ったがそうはいかず、大きなエアコン専門の会社に連絡した。結果は調整で動いてくれたのでお金は要りません。とのこと。感じのいい方で本当に助かった。 

 2人を見ていて人間の体とは本当に不思議なものだと思う。機械は10年経つと寿命と言われ、部品が無くなると廃棄されるしかない。もちろん衰えにフォーカスをすれば数えきれない。両親よりもずっと元気な方がテレビで紹介されるとびっくりするが、それでも約90年前に誕生した身体が今も動いているのだ。細胞は入れ替わり日々新しくなっているのだなあと実感する。そのスピードが遅くなり、大分部品が使いにくくなってきて思うように動かないので、心や頭がそれについていかず、嘆いたり、落ち込んだりしているし、珍騒動が巻き起こることもしばしば。お世話担当の私は面倒なこともいろいろあるが、ありがたいことにまだ2人で生活できているのだ。最初は嫌がっていた他人にいろいろ手伝ってもらうことにも慣れてくれて(多分相当我慢はしているだろうが)なんとかあまり生活レベルを落とさずに過ごしている。父は頭もはっきりし、母はいまだに小走りだ。一つの理想の形だと思う。 

 明日は我が身。どう歳をとり、どんな老人になればよいのか。考えさせられる日々である。


「 蒸し暑さは増すけれど 」

高 志

全国各地で大雨の被害が出ている。早々に梅雨開け宣言がなされたためにピンと来ないかもしれないが、本来なら今頃が梅雨明け時期であり、梅雨終盤は大雨の被害が出ることが多かったのだから、例年通りということなのかもしれない。 6月下旬の酷暑期が無かったら、きっと梅雨明け宣言はなされなかっただろうし、酷暑期を抜けた後に戻り梅雨なる言葉も飛び出したことからも、更には現在日本列島に横たわる前線を見ても、きっとまだ梅雨なのだろう。 その前線に向かって南から湿った暖かな空気が流れ込んで、この蒸し暑さを引き起こしているらしい。その前線の上げ下げに寄って気温が大きく変わっており、南関東にいると常に蒸し暑いだけだが、その前線がフラフラしている水の里では、蒸し暑さの後、急に冷たい空気が流れて一日の中でも寒暖の差が激しい。 その日、朝から降り出した雨が昼頃に上がった。ラジオからは九州や山陰地方で線上降水帯が発生して、大雨になっていると流れてきた。今後、四国、東海、東北地方でも線上降水帯が発生する恐れとも報じている。 雨上がりとともに、蒸し暑さがやって来た。着ているTシャツは、水しぶきによっても濡れてはいるが、それだけではない。厚い雲に覆われているため、陽射しに寄る気温の上がりは無いのだが、その代わりに湿度が上がり続けている。それによって頭のてっぺんから汗が噴き出し、水しぶきよりも多くTシャツを濡らしているのだ。 水場だから他の場所よりも気温は下がっているのだが、それでも噴き出る汗は止まらない。瞬く間に体力を奪っていく。東北釣堀苑の若旦那・とも君が早々に作業を切り上げ、帰り支度を済ませると『ちょっとムリでしょ!?』と言いながら、疲れ切った表情でやって来た。 近年、事あるごとに口にしてきたが、気温の高さよりも湿度の高さにやられてしまう。水の里に通い始めた頃は、避暑地であった水の里も、今や早く自宅に帰りたいと思うほど過ごしにくくなってきた。自宅に戻ったところで蒸し暑さは変わらないのだが、それでもそう思わされるほど水の里も蒸し暑くなってしまったようだ。 天気予報では、屋外での活動は危険だというレベルを示していた。そんな中、全国各地で高校野球の地区予選が行われている。全国トップを切って沖縄の興南高校が甲子園への切符を勝ち取った。神奈川では、この春ご注目をと、このラ・ラビアータで記した我が母校の流れを汲む藤沢清流高校が、第1シード4校の中で唯一ベスト8に残った。惜しくも準々決勝で延長戦の末に敗れてしまったのだが、それ故、激戦区と呼ばれる神奈川であり、第1シードが次々姿を消す中、ノーシードで勝ち上がっている高校もあるのだから面白い。 この地区予選で野球生活を終える選手たちが大半なため、強豪校だろうと弱小校だろうと変わらず、負けてしまえば終わってしまう選手たちの思いは変わらない。TV越しでもそんな姿を目の当たりにして、思わずもらい泣きする娘の汐里のように、見る者の胸をうつ。 末っ子の進は、自分の高校は残念ながら3回戦で敗退してしまったのだが、その姿を目に焼き付けて次は自分がやると決意を固めたようだ。 この文章を書くにあたって、自宅のパソコンのキーボードを打ちながらも汗ばむほど不快指数は高止まりだが、そんな中でも白球を追って駆け回っている球児たちに負けないように、あくまでも無理せず頑張ろう。 この週末からは、いよいよ本格的な夏がやって来そうだ。球児たちの夏も佳境を迎え、8月からは甲子園に場所を移す。楽しみは増すばかりだ。  


「 祇園祭り 」

上田 隆 

祇園祭り 宵々山の夜  

 「明日、祇園祭りに行こか?」 

 「えらい急やん。暑いし、ものすごい人なんやろ」  

 「日付の変わった夜中に行くんや」 

 「え?」 

 私は40年ほど前の話をした。 

 京都にヌキというあだ名の友だちが住んでいた。いわゆるフリーク、絵描き志望のヒッピー。そのころ、京友禅染の経営者が新しい友禅のアイデアを思いついた。伝統的な友禅を飛び越えて、新しい友禅を。そしてフリーク、ヒッピーを集めて自由に友禅を描かせた。出勤時間はなし、好きな時に工房へ来て、自由に描かせた。売れればかなりの歩合を払う。 

 私は夜中にヌキのいる工房へ車で行った。そして鉾が止めてある場所を何か所か巡った。初めてだったが、山鉾の装飾品が手が届く距離で眺められた。いずれも国宝級のものばかり。 

 「夜中に行ったら、そんなものが眺められるで。美術館がすぐそばにあるんや」 

 「うん、行こ行こ」 

 「ところで、そのヌキさんは今どうしてるの」 

 「彼は全米平和大行進にも参加した。そして、日本山妙法寺の藤井日達上人にあこがれて出家した。 藤井日達上人にはこんな逸話がある。

日本の高僧がアメリカに集結した。随行した世話役のフリーク、ヒッピーの中で飲み物に強力なLSDを混ぜて飲ませたヤツがいた。高僧たちの姿は、名誉のために説明を省きたい。藤井日達上人だけはすやすやとお休みだった。そのエピソードもヌキを出家させたそう。 

ヌキと祇園祭り以降に会ったときは、オレンジの僧服で居酒屋で飲んだ」 

 「しかし、彼はインドで脳腫瘍を発病、若くして亡くなった」 

 ここまで話したら、カミサンはすっかり行く気になった。 

  宵山の夜中に、京都へ向かった。最終電車の終わった 四条通りの人通りは少ない。 山鉾が見当たらない。夜中のコンビニに飛び込んで従業員に 

 「止めてある山鉾を見に行きたんやけど」  アルバイトの若い人は  「分かりません」  表に止まっている空車のタクシーに聞いた。 

 「えっ? 宵山終わったら解体、今は骨組みだけですよ」 

 それでも、場所を教えてもらい見に行った。確かに装飾を外された鉾は骨組みだけだった。 

 「ごめん、ドヤッって自慢したかったのに」 

 「ええやん、後の祭り 楽しませてもらったわ」

 

ラ・ラビアータたより

都会の子供に美味しい山の湧水を飲ませたい。1995年、友人の言葉をきっかけに、会員制で南会津の湧水を宅配し始めてから月2回のペースで発行を続けているLettela L'Arrabbiata/ラ・ラビアータたより。オーガニック七菜の日々がつづられている。水の里、キャンプ、イベント、出産/子育て、開店、ケータリング、料理…過去から現在まで、七菜の歴史である

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