NO.608「抹茶のロールケーキ」「再会」「輝く未来へ」「アンテナを引っ込める」「黒が人気です」

2021.03.21.No608

「抹茶のロールケーキ」

豆腐クリームとあんこをくるりと巻いて。 なかなか思うように出来ずに、何度も何度も挑戦して、ようやく何とか出せるようになりました。 優しい味のロールケーキ。お店のデザートでも好評です。1本買いのご注文も。配達でもお届けいたします。これからバリエーションも増えていくでしょう。お楽しみに。


「再会」

なな.

 七菜と文は3人兄弟。2人の間に七菜と年子の弟がいる。弟は数年前に出家して、現在はお坊さんとしてネパールに住んでいる。その弟が2年ぶりに帰ってきた。    

 2年間も年老いた両親を放っておいたという後ろめたさも手伝って、前のめり気味な弟。息子に会えると楽しみに待っている両親。2年間ですっかりたどたどしくなってしまった両親の日常をいくら説明してみたところで、実際に会って、見て、話をしてみないと弟には分からないことではあるけれど、久しぶりに会う高揚感でいつもより元気になるであろう両親の、数日後のガクッと疲れが出た姿までは想像ができるはずもなく。私は、また病院騒ぎにならないといいと心配ばかりしている。

 「年を取るとはこんなに大変な事だったとは想像できなかった」父の口癖だ。建築設計をしてきた父。若いころに年寄りのことも考えてしたつもりの様々な設計は、果たして的を射ていたのだろうか?とよく話している。 

 身体は大分弱っているが、頭の方はまだ何とか回っている。よかった間に合った。昨晩は2年ぶりに会い、3人でたくさん話をしただろう。次はいつになるのかな?次は果たしてあるのかな?…えっ?!

 「これが最後になるかもしれない」3人がそんな思いでいることに今気づいた。


「 輝く未来へ 」

高 志

 1月上旬の寒さが厳しかった頃、2月以降は暖冬傾向で推移するという長期予報が出て、少しほっとしたのが思い出される。まさかここまで暖かくなるとは思いもよらず、ましてや3月中旬にソメイヨシノの開花宣言が首都圏で出されるなんて想像すらできなかった。 

 東日本大震災から10年という節目でもあり、各メディアで当時の映像がちょくちょく流れていたが、それらの映像を見るたびに、改めて10年前のあの日は雪が降るほど寒かったことが思い出される。 

 暖かいということは良いことばかりでは無いことを、地球温暖化という見地から学んでいるとはいえ、やはり雪混じりの厳しい寒さよりも、春の陽だまりの中でぬくぬくと過ごす方を選んでしまうのは人間の性というものだろう。 

 この暖かさは僕らが居を構える首都圏に限ったことではなく、東北に位置する水の里でさえ、前回のお水採りの際には、周りのほとんどを囲んでいた雪も、今回のお水採りでは9割がた消えていたのには驚くばかりだ。 

 ただこうした現象は振り子のようなもので、これだけ暖かいとその反動で寒さがやって来る。1部では4月にあまり気温が上がらないのではないかという見方も出ており、以前には水の里で大型連休直前に雪が降ったこともあったのでそうなってもおかしくないのだが、まずはそうした心配よりも、目の前の桜を堪能することにしよう。 

 そして何よりも桜の開花とともに、高校野球の春の甲子園が開幕した。残念ながら、開会式にしろ大会のレギュレーションにしろ、以前のようにとはいかないのだが、それでも様々な制限の中で精いっぱいのことを成し遂げようとする若者たちの健気な姿に心が打たれた。 

 新型コロナ対策で、その日試合予定の6校だけしか甲子園の土を行進することは出来なかったけれど、今までにない状況下で見事な司会を務めた女子高生や、あの広い甲子園で堂々たる国家独唱を披露した女子高生には、輝く未来しか見えなかった。 

 また、とあるラジオ番組のインタビューで、小学校の卒業式を迎えた先生の話が印象的であった。『この1年間、小学校の最終学年という貴重な時間を、新型コロナ対策で何かと制約を受けてきた子供たちでしたけれど、そんな中でも子供たちは精一杯頑張って楽しんでくれました。何かとネガティブになっていたのは大人たちだけで、子供たちはいつでも元気一杯でした』と話されていた。 

 そして最後にもう一つ。全く意図しなかったネット検索で、よみぃ君というユーチューバーにたどり着いた。何気なく彼のユーチューブを見てみると、ストリートピアノを超絶技巧で演奏する姿に釘付けになってしまった。ピアノは4歳から始めたらしいが、10代そこそこでゲーム音楽を作曲したり、14歳でユーチューブチャンネルを開設したりと、その才能に驚かされた。 

 近年、子供たちの将来になりたい職業としてユーチューバーがランクインしており、それを見るたびに何だかな~という思いに駆られていたのだが、今回よみぃ君を少しだけど知ることが出来て、その可能性を思い知るに至った。 

 若いミュージシャン達も、既存のレーベルに囚われず、自らの配信によるリリースが主流になりつつあるようで、自分たちの思いのままに表現している楽曲が人々の心に届いている。 

 新たな可能性が、既成の枠に縛られることなく評価され、そしてビジネス化される時代になってきた。子供たちの、若者たちの未来が光輝くものであるように、我々大人たちの覚悟と、行動が問われているように思う。 

 時代は確実に変わり始めている。   


「 アンテナを引っ込める 」

マナ 

  30代から集めてきた食のスクラップ帳を処分した。 

 新聞の献立欄や雑誌のレシピの切り抜き、お取り寄せに付いてきた栞、お店の名刺、食べこぼしのシミのついた箸袋、などが貼り付けられたり、ご丁寧にファイルに入ってたりする。

 今みたいに、わからないことがあったらググってみるということができなかったから、大事な虎の巻だった。

  パラパラとめくっていくと、つい読んでしまう。さっさと処分しようと思いつつ、黄ばんだ思い出たちを目で追う。 

 どうも、私は秘伝のタレとか出汁に弱かったんだなあ、と苦笑する。やたら、調味料やスパイスの記事も多い。エスニックに凝っていた時期もあった、バリ島で買ってきた石臼でスパイスやハーブを挽いていたことも思い出す。すぐに面倒になって使わなくなったけど。分類せず時系列でスクラップしていたので、その時ハマっていたことがよくわかる。

 私は食べることが大好きで、ああしたら美味しくなるんじゃないか、もっと美味しくなる方法がきっとあるはずだということに、いつも思いを馳せている。今やその熱量が下がったといえども、他のことに対する比ではない。

 でも、もういいや、今あるもので、知っているレシピで作ろうと思い始めた。

 3年前からテレビもないし、無差別に入ってくる情報をシャットダウンしているつもりなのだけれど、 

それでも疲れる。

 外からだけでなく、すでに持っている情報も手放したくなってきた。 

 めくり返さなければ、思い出せないようなことにとっておくスペースは、頭にも空間にもない。 乱暴かもしれないけど、思い出せないものは、なかったことといっしょだ。 

 覚えていることだけで、もう充分やん。 

 それを遣い回してやっていくことにした。


 

ラ・ラビアータたより

都会の子供に美味しい山の湧水を飲ませたい。1995年、友人の言葉をきっかけに、会員制で南会津の湧水を宅配し始めてから月2回のペースで発行を続けているLettela L'Arrabbiata/ラ・ラビアータたより。オーガニック七菜の日々がつづられている。水の里、キャンプ、イベント、出産/子育て、開店、ケータリング、料理…過去から現在まで、七菜の歴史である

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